昭和天皇のお誕生日だった4月29日は現在、
「昭和の日」という祝日になっている。
その趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた
昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」。しかし、「昭和」から「平成」に元号が改まった当初、
政府が決めた祝日名は「みどりの日」で、全く別の趣旨の祝日だった
(現在、「みどりの日」は5月4日に移動)。
それが「昭和の日」になったのは、平成17年に国会で
祝日法が改正されたからだ(実際の施行は同19年から)。この祝日法改正が実現したのは、
一般には余り知られていないかも知れないが、それを求める粘り強い
国民運動があったからだ。わが国の歴史上、かつて経験したことがない、
総力戦の敗北というどん底からの復興、という偉大な昭和の歩みを
後世に残し、未来の日本人に大きな勇気と希望を与える祝日としたい
という願いから、私も微力ながらこの運動に少しばかり関わった
(この祝日のキーワードは“復興”)。この運動がスタートしたのは平成5年4月23日。
この日、明確な目的意識を持った有志が集まり、「発会式」を催した。
当時、まだ30代半ばだった私は、この会で基調講演を行い、
「何故『昭和の日』でなければならないか」について“論理”を提示した。
しかし、その時に集まったのはわずか27名
(記念写真には26名が写っているが、撮影者も仲間だったはずだ)。これほどの少数からスタートしながら、
遂に衆参両院の過半数の国会議員を動かし、祝日法の改正にまでこぎ着けた。
これは、巨大な組織の後ろ楯も潤沢な資金もない、
本当にささやかな有志の手作りの運動だった。だが、昭和天皇のお誕生日だった4月29日は、「みどりの日」という
ピントが外れた祝日より「昭和の日」の方がふさわしい-という、
その頃、国民の圧倒的多数を占めた昭和世代が受け入れやすい
メッセージを掲げたことが、この運動の最大の“強み”だった。
その強みがあったからこそ、共感の輪は着実に広がり、
確かな成果に繋がった。皇位の安定継承への取り組みについても、
それと共通する“強み”があるのではないだろうか。
天皇陛下に素晴らしいお子様が現にいらっしゃるのに、
「女性だから」という“だけ”の理由で皇位継承資格を持てないのは
明らかにおかしい-というメッセージは
(男尊女卑に凝り固まったごく一握りの人々を除き)普遍性がある。先の参院選では、いささかハードルが高い“候補者への
個別アプローチ”の為に実際に動いた有志が、全国で106人(!)もいた。
これは、きちんと結果を出した「昭和の日」運動が、
スタート時点では“実践に踏み出そう”とする者が
わずか27人しかいなかった事実を振り返ると、決して少なくない数だ。但し、「昭和の日」運動は10年余りの歳月をかけて
根気強く目的を達成したが、皇位継承問題にそれほど長い猶予期間はない。追記
近況の一端を。
〇9月30日、ミス日本コンテストのファイナリストたちにレクチャー。
〇10月1日、月刊誌「カレント」10月号に連載「皇室の春夏秋冬」第9回が掲載された。
〇10月3日、「smartFLASH」にコメントが公開された。
〇10月4日、「週刊女性」10月18日号にコメントが掲載された。
〇10月5日、上記記事が「週刊女性PRIME」でも配信された。
〇10月7日、「清話会」で講演。
〇なお先日(9月28日)、読売新聞の取材に応じたコメントが10月11日付に掲載されるそうだ。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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